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災害は予知できない

2012/05/14 09:39

 

竜巻注意情報
   GWの最終日につくば市を襲った竜巻被害に驚いた気象庁は、同じような気象条件になった5月10日に、はやばやと竜巻注意情報を出した、NHKもこれに乗り重大ニュースとして速報したが、どこにも竜巻は発生せず的中率0となった。重大ニュースの速報で使われるチャイムを鳴らし、「○○県に竜巻注意情報 竜巻など突風に注意」とテロップを流し、「急な風の変化や雷・雹など兆しある場合は頑丈な建物の中に」というメッセージまで加えた。気象庁が大津波警報などの「警報」を発令すると、NHKは直ちに警報を放送することが気象業務法で定められているが、竜巻注意情報の速報は義務づけられていない。
   

  同じような警報システムとして「Jアラート」がある。2007年2月から運用されているが、4月13日の北朝鮮のミサイル発射では、全く反応せず予定コースだった沖縄県では音沙汰なしで役立たずに終わった。このシステムは110億円を投じて運用している。通信衛星を使って、災害などの情報を捉えて、各自治体に流すシステムだ。開始してから「福井県にミサイル着弾」とか、「愛知県庁が攻撃対象」などと誤報が多く、さらにシステム障害もあり緊急時には役に立たない無用の長物だ。311では津波情報をキャッチしていたが、肝心の災害地域は殆どが、このシステムの未整備地域で情報がなかった。


   災害情報などに詳しい専門家は「竜巻の予測は突発的なゲリラ豪雨よりも局所的で難しい」と指摘している。地震予知も同じで、政府の地震予知専門委員会の委員長である東大名誉教授の阿部勝征氏は「地震はいつどこで起きても不思議でない」とまるで素人まるだしのコメントしかできないのだ。巨額の国家予算を使って地震などの研究をしている学者たちは、論文執筆だけに精を出すのではなくて、もっと実用的な結果を出すことに専心すべきだろう。

 

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海外美術館展

2012/05/12 09:07

 

海外からの絵画展
   昨年は災害で海外からの作品がこなかったが、今年はアメリカからからメトロポリタン、ボストンロシアからはエルミタージュ、ベルリンなどの美術館からの作品の展示が目白押しだ。中世の絵画には聖書などの宗教からの題材が多く、日本人にはなじみにくいものが多い。フェルメールなどは日常的な題材を人物とともに克明に描く手法、思わず引き込まれる光の世界など魔法の世界と言われて、これにかかった人は、全部の作品を目にしてみたいとの誘惑に駆られて、欧米の美術館へ巡礼の旅に出るそうである。フェルメールを極める旅などとして、旅行社からツアーも売り出されているそうだ。


   フェルメールなどの宗教的背景が希薄な作品は日本人にはなじみやすいが、ダビンチやラファエロに代表されるルネッサンス絵画の鑑賞には、旧約聖書など宗教に対する知識と理解力という障壁が日本人にはある。エルミタージュと言えば、ルーブルよりも作品数は多く、中でも、ダビンチの2作品が注目に値する。今回、日本には来てはいないが、絵画愛好者ならば一度は目にしておきたい作品だ。
 

海外の美術展 :
エルミタージュ4/25~7/16国立新美術館http://t.co/YiLr7Zjq
ボストン3/20~6/10国立博物館http://t.co/jtR1sbcu
ベルリン6/13~9/17西洋美術館http://t.co/b6helk1Y
NYメトロポリタン10/6~1/4 東京都美術館http://met2012.jp/
 

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語学教育の撤廃

2012/05/11 08:35

 

大学の語学教育
   どこの大学でも英語は入学試験にあり、入学後も1,2年では必修科目となっている。ある大学の調査データによれば、中学と高校で英語が苦手だった学生は60%にも達している。そのうち45%は嫌いな科目だったという。このことから、中高での英語教育が効果を上げていないことをよく認識すべきである。英語は学生から嫌われている科目の筆頭かもしれない。社会に出てからも、90%の大学卒業生は日常的な普通の会話すらできないという。これでは日本の英語教育は、莫大な費用と時間をかけて、全く無駄なことをしていることになる。その他の外国語を履修するカリキュラムなど論外となる。


   会話は駄目でも、読めればいいという話もあるが、読み書き聞き語れなければ、その言葉に関しては、かたわ者である。英文を正確に読むことは難しく、読めればいいと思っている人の大部分は、読んだつもりかもしれないが、意外と正確に理解できている人は少ない。その理由は書く、聞く、語る能力が不足しているからである。言うまでもなく、語学は文学などを研究する一部の専門家を除いて、普通の人には手段であって学習や研究の目的ではない。意味のない語学教育を大学で学習することを即刻に中止すべきである。語学の授業は他の専門科目の授業に振り向けた方が、よほど全体の教育としての効果を上げることができる。

 

   ある国の言葉を使って仕事や勉強をしなければならない人は、半年をかけて、その国の言葉に没頭する集中学習だけが効果を上げることができる。だらだらと1週間に2,3回の授業を続けてもあまり意味がない。大学は学問をするところである。語学は学問ではなくて、単なる手段であるから大学で学ぶ必要はない。中高で6年間も学習する機会があるのだから、先生や授業の方法を変えることで英語の学習は十分に効果を上げることができるはずだ。

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英語公用語の問題

2012/05/10 10:01

 

英語公用語
   英語を社内公用語にして社長自ら英語で挨拶しているのを聞くと、余りにも幼稚な言葉遣いで、これではかえってビジネスを失うのではないかと心配になる。やはり最も使いこなれた言葉で挨拶をし、仕事をする方が効率的だしカネ儲けにもつながると思う。言うまでもなく、言葉は目的ではなくてビジネスや旅行をするための手段だ。経済産業省の統計によると、昨年度、外国語会話教室に通った受講者数はほぼ1000万人で、会話学校の売上高はほぼ1400億円になるから、生徒1人当たり1~2万円の授業料を払っている事になる。外国語といっても英語が95%超で、講師は9割がた外国人が占めている。そしてそこで勉強したからといって、英語が上達する保証はどこにもないことが問題だ。講師になる外国人も、母国で英語の先生になるための訓練を受けて資格をもって来日するわけではなく、金髪で青い目をしていれば、どんな英語を喋ろうとも無条件で採用されるという。日系で抜群の英語力を備えていても、日本での会話学校の先生にはなかなか採用されなかった米国人から聞いた話である。

   会話学校に無駄な投資をすることも問題であるが、中学から高校まで6年間も英語の授業を必須科目として勉強し、なお、大学へ入るための英語の試験まで通りながら、全く英語が口に出てこない日本式の英語教育こそ問題にすべきである。我々の世代では、外国語は読めるけれど、聞くこと、書くこと、喋ることは苦手と言う人がほとんどある。考えるまでもなく、これは嘘で、実際には読むことすらもあまり出来てはいないのである。言葉は目と耳からしか入ってこない。入ってこないものを書いたり喋ったりして出すことは出来ない。耳からは入らないし、後は目からしか入りようもないのであるが、実際には何も入ってこないものをアウトプットできるわけがない。


   最後に発音のことを申しておきたい。日本式の英語教育の欠点は発音記号にあると思う。辞書に出ている発音記号どおりに教室で言わないと、英語の先生に直されることになってしまう。この発音記号どおりにアメリカで発音しても全く通じないことを経験している人も多いと思う。メジャーに入ったある日本の選手が、誕生日を聞かれて「エイプリル」が通じなかったので、会話は諦めたと言っていた。直ちに発音記号なるものを廃止して、カタカナで実際に近い表現にすべきと思っている。日本からきた出張者が、NYでコカコーラを飲みたくなって、「コーラ」と注文すると必ず「コーヒー」が出てくると嘆いていたことを思い出す。これは「コーク」だからだ。最後に、アメリカで日本人にとって発音の難しい固有名詞を思いつくままに挙げておく。
* Orlando, Atlanta, Seattle, Detroit, Pentagon,  Manhattan, Connecticut
 

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瓦礫処理と言うおいしい仕事

2012/05/08 10:16

 

瓦礫処理を長引かせるメリット

   1年かけて、太平洋を漂流してアラスカやアメリカに辿りついたサッカーボールやオートバイの話がニュースとなっている。海外の拾得者が持ち主だった人を探して返還すると言う事は美談として成り立つ。足元を見れば大震災から1年で処理できたガレキはわずか6%と言うからこれは野田内閣と環境庁の恥さらしな醜聞としか思えない。自治体にお願いすると言うだけしか知恵のない細野大臣では全く期待できそうもない。


   廃棄物処理場は迷惑施設だから、どこの自治体もギリギリでやっている。焼却炉は耐用年数が20年と短く、建設地だけでなく財政の圧迫の中で全く新設のメドもたたない。だから自治体が被災地のガレキを受け入れを渋るのは、住民の過剰な放射能の心配というだけでなく、そもそも他県の分まで処理する余力がないという構造的な事情なのだ。さらに、役所や縄張り意識が相も変わらず仕事を遅らせている。内閣の関係閣僚会議で新たに盛り込まれた対策として「セメント会社など民間企業にも協力を要請する」というが、もともとあった提案も環境省の縄張り意識と怠慢で放置されていただけだ。

   民主党の一般廃棄物推進議連は、震災前から、民間のセメント工場の焼成炉の利用を研究していた。ゴミはセメントの原料になる。大手セメントメーカーも、自治体に代わって家庭ゴミを焼却することに前向きなのだ。廃棄物処理にあたり、環境省は自治体に補助金を出している。そのようにして国は地方をコントロールする権益を持ち続けている。そこに民間が割って入ることを、役人は好ましく思わないだけだ。彼らにとっての仕事とは、毎年、予算を獲得する案件があり、獲得した予算を地方に配分する権限こそが狙いだから、廃棄物処理を促進するメリットは全くなく、むしろ長引けば長引くほど、彼らの権限を維持できるからだ。このような役人根性こそが最大の廃棄物で早急に処理されるべきものだ。
 

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原発停止に思う

2012/05/07 10:01

 

原発事故の責任者

   原発全運転停止という事態に遭遇して、あらためて当時のことが思い出されて来た。内閣府原子力安全委員会の委員長は、原子力安全委員会の重責を認識する人でなければならなかった。「東大で安全規制行政など原子力社会工学を研究してきたエリート中のエリートで、漫画を描くことが趣味でHPにも掲載した事がある」と言うような人は適任ではなかった事を示した。事故直後のNHKニュース9に登場していた斑目氏に「今後の見通しは」というキャスターに質問を振られた時の斑目氏の身振り顔つきには誰もが驚いたことだろう。何か言葉にならない嘆声と共に頭を振って、身震いするように肩をすくめながら、「とても、とても、とても、そんな、見通しなんて言える状況じゃないですよ」と手を振っていた記憶は生々しい。天から降ってきた難題に呆然自失して、途方に暮れて為すところを知らずという子どもみたいな様子だった。いかにも東大の先生だったような細縁の眼鏡、グレイのスーツだが、その身振りは全く原子力の安全を任されている専門家としてのしぐさではなかった。
 

    事故翌朝の被災地視察に、管総理のヘリで同行して、総理の質問に「大丈夫大丈夫だ。水素爆発は起きない」と繰り返していたそうだが、その8時間後に1号機で水素爆発が起きた。六ヶ所村核燃料再処理施設問題を追ったドキュメンタリー「六ヶ所村ラプソディー」を作った監督は、「当事者意識の薄い喋り方をする人」と評しているそうだ。国家に対し重要な責任を負うポジションにある人は、必ずしかるべき人でなければならないと思う。優れた研究者が危機管理能力に優れている訳ではない。大学教授としてのキャリアが、そのまま実世界の責任を伴う職責に適しているわけではない。むしろアカデミックの世界だけしか知らない先生方は、このような領域での仕事を安心して任せるわけにはいかにと思ったほうがよい。
 

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目的は達成された

2012/04/29 10:45

 

それでも目的は達成された
      冤罪だろうが何だろうが彼を動けなくしておく事、即ち座敷牢に入れておけば、民主党政権などはあとは自由に既得権益集団の思うように操れる。事実、今の政権は自民党政権以上に官僚べったりでしか仕事ができなくなっている。まだ灰色だ黒だと言っている政治家、評論家、大新聞は皆、彼のことを怖がっている人達だ。
    
    2009年3月の秘書逮捕から3年間が経過して、その間の9月に政権交代選挙があって民主党政権が誕生したが、まったく骨抜きの政権で自民党以上に霞が関寄りの政治が行われている。既得権益集団は無罪判決が出たが目的は十分に達成した。その集団と新聞が結束すれば何でもできることを示した。これは、さかのぼること75年前にも同じ様な事があった。

    小澤氏が無罪になってほしくないマスコミ、政治家、評論家たちは、相も変わらずに説明責任とか道義、倫理などを持ち出して黒い無罪などと激しく攻撃している。国 民の生活が第一と主張して、民主党政権を成立させたのは小澤さんであることを思い出すと、彼は政権交代の最大の功労者だったことが分かる。副総理や政調会長が偉そうな発言をしているが、まるで子どものような内容だ。

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1国2制度

2012/04/28 11:44

 

香港とマカオ訪問記   
   GWに先立ち、1997年7月にイギリスから返還された香港、1999年12月にポルトガルから返還された澳門に行ってきた。20年くらい前に訪問した事があるので、中国になってからどのように変貌したのか興味があった。また1国2制度という、我々には考えられないシステムが、どのように機能しているのかについて知りたかった。何故ならば、中国が真の意味での近代化を遂げるには、この旧植民地が果たす役割が大きいものと考えていたからだ。双方とも20年前と比べたら、経済的な発展だけはよく理解できたが、通貨、言葉、システムなどは全部、中国本土とは違うこともわかった。


    中国語を理解しているわけではないが、中国語は唯一つの言語があるのではなくて、上海の人と北京の人では会話ができないくらい中国語は幅が広い。香港には北京語学校から広東語の学校など様々ある。その上に英語や日本語など小学校から3ケ国語ぐらいの学習が普通だ。また、勉学の程度でクラス分けもあり、子どもたちは遊んでいるとどんどんおいて行かれる。日本人観光客にとっては、ここでは昔の漢字が使われている所だから、看板の文字などは北京などにいるよりも分かりやすい。


    香港と澳門の間は船では50分、ヘリコプターで10分位の距離であるが、ビジター以外でもパスポートチェックがある。それくらい、この2地域への出入りは厳しく管理されている。本土の中国人が香港の居住権を得るには1億円はかかるみたいだ。香港で子どもを産めば、その子には香港で出生届をだして居住権が得られるから、妊婦がカネを使って香港の病院で出産することが行われている。しかし、これも制限が厳しくなっていると言う。つまりカネが高くなっているみたいだ。


    香港の人口は現在、700万人だが、観光客は昨年5000万人で、その内3000万人は本土からの中国人という。20年前は日本から訪問者はお金に見えたが、今は中国人がお金に見えると言われた。中国人の10%は富豪がいる。人口は13億人だから、日本人の人口と同じだけカネ持ちがいることになる。幸いなことには、地震や原発災害があっても安心安全という日本ブランドだけはまだ生きているみたいだ。香港の人たちにとって、最も行きたい国のトップは日本で、北海道の雪や温泉、日本食にあこがれているという。マカオについては別の機会に紹介したい。

 

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原発を考える

2012/04/22 10:58

 

白熱教室
   ハーバード大学Sandel教授の白熱教室では、愛国心と正義、死刑の善悪と言うような議論が分かれる難しい問題が提議されている。もとより白か黒の結論を出す事が目的ではなく、頭を活性化させて討論する事が求められる。原発は継続か廃止かという二者択一の議論を進めるのではなくて、今、現実的な道は何かを求めるべきだ。
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google_ad_section_start(name=sequel)     1963年10月26日、東海村で初めて原子力発電が行われた。この50年間に商業用の設備は54基となって、2010年には電力の30%を供給していた。初期の段階で原発に反対したのは湯川先生だけで、原発は危険だから中止せよという声は学者は勿論、殆どなかった。今となっては全てを負の遺産とはできない。いずれはウランの枯渇で、世界中の原発はなくなるだろう。また化石燃料もいずれは枯渇する。人類はその間、様々なエネルギー源を開発していかなければならない。

   昨年の夏は東北方面への旅行はしたくなかったが、今年の夏は関西方面への旅行だ。何故ならば突然に停電になって灼熱地獄に襲われる心配があるからだ。熱中症の被害も増えるだろうが、京都や滋賀の知事さんたちが責任をとってくれるのだろう。また、企業にとっては電力の安定供給は生産計画の基本だから、電力リスクの存在は脱日本の要件となる。福島の事故を起こした4基は原発としては廃棄処分されたので、日本の商業用原発は50基となった。



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ビジネスは自分の頭で

2012/04/19 10:45

 

ネットはビジネスの補助手段

時には孤独たれ(2)

  学生も含めて今の若者たちが、ネットを頼りにしないと生きていけないような風潮を戒めるつもりで、昨日書き始めたが、話が少し昔話になってしまった。先日、ある企業の人事担当者に会う機会があった。入社前の研修会や入社後の新入社員教育では、何も言わないとほぼ全員がタブレット端末かスマホを持ってきて机の上に当然のように置くそうだ。それがまずはビジネスとして当然のことと思っているという。そこで、教育担当者は準備していた小型のノートを配布して、IT機器はバッグにしまうように指示したところ、全員の顔に不安そうな表情が浮かんだという。
 

  まるでビジネスはIT機器でするのが当然と思っているらしい。そうではなくてビジネスは自分の頭で考えて、人と人が顔を突き合わせて行うものであることから教育を進めるという。日本でのメールの本数は、毎日20億万通あるが、その内、7、8割はゴミメールと言われている。大企業の管理職ともなれば、日に300通ものメールを受けるが、全部目を通すことはできないし、目を通す必要もない。重要な意思決定事項をメールで送りつけたら、連絡が終了したと思っていたら大間違いだ。


  ネットで流れてくるSNS、ブログ、メールなど、自分も参加しているから分かるのだが、そのほとんどは余り価値のあるものはないと思わなければならない。真実の情報はネット上にあるのではなくて、自らの足で見つけ出し、自らの頭で生み出し、はじめてIT機器を使って、文字の情報として文書にするものだ。メールやツイッター中毒にならずに、たまには1人で海岸や山に行き、孤独の中で思索を重ねる修練を積むことで、さらなる新しい自分を発見することができるような気がする。

 

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